ようやく読書中の「海辺のカフカ」について、読み途中ながら段階的にレビューをアップしたいと思います。(現在、上巻まで読了)全く前情報なしに読んでいるので、場合によってはとっくに周知の事実だったり、全くの見当違いだったりするかもしれませんが、この作品は昨今多発している「少年犯罪」と、その報道が社会に及ぼした影響について、作家・村上春樹が真正面から向き合ったアンチテーゼに他ならないと感じました。主人公が15歳の少年であること。序盤で登場する「猫殺し」のシーンと、それに続くかなり明確な形での「殺人」の描写。少年時代の記憶を失ってしまったナカタさんの心理的トリガーが「出血」であること・・。これら全てのキーワードがそのことを象徴しているような気がします。これまでも村上春樹の小説では、心身にダメージを受けたり、徹底的に「損なわれる」ことを主題に描かれることが多かったのですが、これだけはっきりした形で暴力が扱われることはありませんでした。このように、今回一歩踏み込んだ表現を選ばなければならなかったのは、作者なりに相応の動機があったに違いないと思うのです。それでも、そうしたリアルな題材をテーマに選びながら作者が目指しているのは、決して月並みな「断罪」の物語ではなく、この世に潜む「悪」というものは、平気でその主体が入れ替わったり、成り代わったりするものなのだ、という想像力を持ってしか描けない深遠なる真実・・。カフカとはまた違うけれど、カフカの名を冠するにふさわしい一冊と言えるかもしれません。
主人公が15歳の少年ということで、ジュブナイル風な作品になるのかと思いきや、この少年が充分に成熟し、達観した内面の持ち主なので、いつもの村上春樹作品と同じく自己投影的な主人公像と考えていいと思います。ただ、主人公が家出した高校生という設定なので、そのことを周囲に悟られず生き抜かなければならない、というハンデが物語のハラハラ感を煽るという演出効果はあります。
これはもう一方の主人公である初老の男性・ナカタさんについても言えることで、彼は都から補助をもらって一人暮らしをしている老人なので、自ずとその行動にも制限が出てくるし、彼は幼い頃の障害で文字の読み書きができないので、さらに2重のハンデを背負っています。このように、2人のHandicapped Peopleが主人公であるという共通点と、彼らが共に成長し得る純粋な自我を持っている点に注目すべきでしょう。
一番衝撃的だったのが、猫好きとしては思わず目を覆わずにはいられない、猫殺しのジョニー・ウォーカーの登場シーンですが、これは「ジョニー・ウォーカー」というイコン(シンボル)をまとっていることからも分かる通り、ナカタさんの独自な感性が見せた幻覚と解釈することも可能になっています。それでも、明確な形での「死」という結果は変えられないし、限りなく凄惨な「猫殺し」のシーンは、猫という形を借りてはいるものの、リアルな人間に対する「殺戮」や虐待を意味しているに違いないと思います。ジョニー・ウォーカーは悪意の象徴であり、生殺与奪の象徴なのです。
それとは対照的に、前半部分で交わされる猫とナカタさんのほのぼのした会話が実に秀逸で、笑いと含蓄を伴ったシュールな世界観に一気に引き込まれてしまいました。一番気に入っているのがこのくだり。
「あんた、性欲のことはわかるよな?」こんなに面白い会話が書ける人だったかなぁ、と考えさせつつも、こんなところにも作家としての村上春樹の極みを感じさせます。そして、猫と老人だけが共有できる、均質な住宅街で流れる淡々とした時間。「ねじまき鳥クロニクル」の頃から思っていたのですが、実際にこういう時間軸の中で暮らしてみないと絶対に書けない描写だな~、と感心させられます。猫=善、犬=悪というキャラクター配置も、作者の猫好きを伺わせて微笑ましいですよね・・。
「はい。経験はありませんが、だいたいのところはつかんでおります。おちんちんのことでありますね」
「そうだ。おちんちんのことだ」、オオツカさんは神妙な顔でうなずいた。
エディプス神話を題材にしている小説と言うと、私が真っ先に思いつくのが筒井康隆の「エディプスの恋人」ですが、全く趣向の違うこの2つの作品が、肝心なところで「肉体入れ替わり」という同じトリックを用いているのが興味深い一致だと思います。村上春樹の作品では、古くは「羊をめぐる冒険」から、「スプートニクの恋人」に至るまで数多く「乗り移り」とか「成り代わり」といったメタファーが使われてきましたが、今回の「海辺のカフカ」では、源氏物語における「生霊」などを引き合いに出して、はっきりとネタ明かし的な発言をしていることも、他の作品とは一線を画するところだと思います。
この辺りもファンとしては意見が分かれるところだと思うのですが、まずは下巻を読んでみて、その落としどころに期待してみたいと思います。
<関連記事>
・Yahoo!ニュース - 東京管理人夫婦殺害事件
・ノルウェイの森:風のまにまに号
・世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド:風のまにまに号
・「ねじまき鳥クロニクル」と「ねじ巻き都市冒険記」:風のまにまに号
・村上モトクラシ大調査
風のまにまに号

コメントする